新浜レオンさんの父親は、演歌歌手の髙城靖雄(たかじょう・やすお)さんです。
名前だけではピンとこなくても、「伯方の塩」のCMに出演し、歌唱を担当していた歌手と聞けば「あの人だったの?」となるかもしれません。
実際、新浜さん自身も父親について話すとき、「伯方の塩」のCMを分かりやすい紹介として使っています。
ただし、よく知られている「は・か・た・の・しお♪」というサウンドロゴと髙城さんの関係は、少し整理しておきたいところです。「あのフレーズの初代の声が父親」という意味ではありません。
父・髙城靖雄さんがどんな歌手なのか、現在の活動や新浜レオンさんが歌手を目指すきっかけになった親子エピソードも含めて見ていきます。
新浜レオンの父親・髙城靖雄はどんな人?
新浜レオンさんの父・髙城靖雄さんは、長く演歌・歌謡曲の世界で活動している現役歌手です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 髙城靖雄(たかじょう やすお) |
| 生年月日 | 1958年8月10日 |
| 出身地 | 岩手県九戸郡洋野町(旧種市町) |
| 最終学歴 | 千葉商科大学卒業 |
| 職業 | 演歌歌手 |
| 所属 | 高城総合企画 |
| 代表曲・近年の楽曲 | 「日本海‘88」「北の龍神」「南部…春と夏 2026」など |
白井市の公式サイトでも、髙城さんは「白井市在住の1958年生まれ」で、岩手県九戸郡洋野町の旧種市町出身と紹介されています。
大学卒業後に歌手の道へ進み、1987年には「水原達矢」の芸名で「日本海‘88」をリリースしてメジャーデビュー。その後、1995年に髙城靖雄の名前へ戻り、活動を続けてきました。
新浜レオンさんの公式プロフィールにも、幼い頃から父親の影響で演歌・歌謡曲を聴いて育ったことが記されています。新浜さんにとって、父親は単に同じ歌手というだけではなく、音楽の原点でもあるんですね。
父親の画像は公開されている?
髙城靖雄さんは一般人の父親ではなく現役の歌手なので、顔写真も公開されています。
自身の公式サイトや所属レコード会社のプロフィール、白井市の「しろいふるさと大使」紹介ページなどで写真を確認できます。新浜レオンさんと父親が一緒に写った過去の写真も報道されています。
「新浜レオン 父親 画像」と検索する人も多いようですが、出どころの分からない画像を探すより、こうした公式ページや報道写真を見るのが確実です。
「伯方の塩」のCMで歌っていたのは本当
髙城靖雄さんといえば、やはり外せないのが「伯方の塩」です。
新浜レオンさんは文化放送「くにまる食堂」に出演した際、父親について演歌歌手だと説明したうえで、「伯方の塩」の声を担当していた時期があると明かしています。
伯方塩業の公式情報を見ると、髙城さんは1996年に「伯方の塩」のイメージキャラクターとしてCMに出演し、1997年から2005年には歌唱も担当していました。
ですから、「新浜レオンさんの父親は伯方の塩のCMで歌っていた」という説明そのものは間違いではありません。
テレビ番組などでも父親の紹介として「伯方の塩」がたびたび登場するため、新浜さん自身もすっかり“伯方の塩の息子”として覚えられているようです。
有名な「は・か・た・の・しお♪」の初代の声は父親ではない
ここは検索すると少し情報が混ざりやすいところです。
「伯方の塩」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、あの力強い「は・か・た・の・しお♪」というサウンドロゴですよね。
伯方塩業によると、このサウンドロゴが登場したのは1987年。長らく作曲者や初代の声を担当した人物が分からない状態でしたが、後の調査で、作曲者は浦田博信さん、初代声優は音楽家の塩谷信廣さんだったことが確認されています。
そして伯方塩業は、髙城靖雄さんが1997~2005年に歌唱したことを紹介する一方で、塩谷さんによるサウンドロゴは当初から使われ続けていると説明しています。
つまり、整理するとこうです。
- 髙城靖雄さんが「伯方の塩」のCMに出演していた → 事実
- 髙城靖雄さんがCMで歌唱していた → 事実
- 新浜レオンさん自身も「父が声を担当していた時期がある」と話している → 事実
- 有名なサウンドロゴの初代の声が髙城靖雄さん → 公式情報とは異なる
「伯方の塩を歌っていた人」という紹介だけを見ると全部同じ話に見えてしまいますが、CM歌唱とサウンドロゴの初代音声は分けて考えたほうが正確なんです。
父・髙城靖雄は現在も歌手として活動している
「新浜レオンの父は現在どうしている?」という疑問も多いようですが、髙城靖雄さんは現在も歌手活動を続けています。
2026年6月には、吉幾三さんがプロデュースした歌手生活45周年記念盤「南部…春と夏 2026」をリリース。所属レコード会社の夢レコードにも作品情報が掲載されています。
自身の公式情報ではコンサートやイベントの予定も案内されており、歌手生活45周年記念ディナーショーなども開催されています。
さらに、髙城さんは有限会社高城総合企画の代表取締役でもあります。同社の公式ページでは、音楽産業などを手掛ける会社として紹介され、代表者欄にも髙城靖雄さんの名前が掲載されています。
「息子が有名になったので父親はもう引退しているのかな」と思うかもしれませんが、実際はそうではありません。親子それぞれが歌手として活動を続けています。
新浜レオンが歌手を目指したきっかけも父だった
新浜レオンさんは、最初から歌手一本で進んできたわけではありません。
小学校から高校まで野球に打ち込み、高校ではキャッチャーでキャプテンを務めていました。プロ野球選手を夢見ていたものの、その道を断念。そこで改めて目を向けたのが、ずっと身近にいた父親の仕事でした。
高校3年生の夏には、父・髙城靖雄さんの仕事現場へ行き、かばん持ちを始めています。
文化放送で新浜さんが語ったエピソードが、かなり印象的です。
子供の頃の新浜さんにとって、父親は「世界一歌がうまい」と思うような存在でした。ところが現場へ行くと、その父がディレクターから歌い方を厳しく指導されている姿を目にします。
家では苦労している姿を見せなかった父親が、歌手として試行錯誤している。そこで新浜さんは初めて、父が家族を支えながら歌の世界でどれだけ頑張ってきたのかを実感したそうです。
その姿を見たことで、父親を一人の歌手、そして一人の男性として改めて尊敬し、「父親のようになりたい」と歌手を目指す決意につながりました。
ただ有名な父親の仕事をそのまま継いだ、という話ではないんですね。むしろ仕事の厳しい部分まで見たうえで同じ道を選んでいます。
大学時代も父の運転手やバックコーラスをしていた
新浜レオンさんは大学へ進学した後も、父親の仕事を手伝っていました。
ORICON NEWSのインタビューでは、大学に通いながら父の運転手やバックコーラスを務めていたことが語られています。
歌手になりたい気持ちはあったものの、母親からは歌手という厳しい世界へ進むことを反対されていたそうです。それでも自らデモテープを作り、レコード会社や芸能プロダクションへ送るなど活動を続けました。
その後、現在の所属先であるB ZONEにつながるチャンスをつかみ、新浜レオンとしてデビューします。
父親が歌手だから簡単にデビューできた、という経歴ではありません。父の現場で仕事を覚えながら、自分でも売り込みを続けた時期があったということです。
父親は小学校のPTA会長も務めていた
ステージ上の歌手とは少し違う、父親らしいエピソードもあります。
新浜さんはテレビ番組で、父・髙城靖雄さんが小学生時代にPTA会長を務めていたと明かしています。
卒業式であいさつをした際には、「これからエンを大切にしてほしい」と話したところから「エンと言えば、は・か・た・の塩!」とつなげてしまったのだとか。
新浜さんとしては感動的な卒業式なのに、父親がしっかり「伯方の塩」を入れてくる。家の中にも塩がたくさんあったという話を本人が何度か披露しているので、髙城さんにとって長年付き合ってきた大切な仕事だったこともうかがえます。
紅白出場を知った父が初めて泣いた
新浜レオンさんが歌手として実績を重ねたことで、父子の立場にも少し変化が出てきたようです。
新浜さんはテレビ出演時、NHK紅白歌合戦への出場が決まった際に父親へ電話したところ、父が初めて喜びの涙を見せたと振り返っています。
父からかけられたのは、「俺の夢をかなえてくれてありがとう」という言葉だったそうです。
歌手として長いキャリアを持つ父の背中を追って始まった新浜さんの歌手人生。その息子が紅白の舞台に立つまでになったことは、髙城さんにとっても大きな出来事だったのでしょうね。
一方、新浜さん自身は「伯方の塩の息子」と紹介されることについて、父親の知名度を「超えたい」という趣旨の発言もしています。
尊敬しているけれど、歌手としては父を超えたい。この距離感が、新浜レオンさんと髙城靖雄さんの親子関係をよく表しているのかもしれません。

