俳優の高橋一生さんについて調べていると、必ずと言っていいほど出てくるのが実家にまつわる話題です。どこで生まれ育ったのか、家族はどんな人たちなのか、裕福だったのか苦労したのか。検索するとあれこれ出てくるものの、本人が語ったことと、ネット上でふくらんだ話が混ざっていて、どれを信じていいのか分かりにくいですよね。
この記事では、テレビ番組や新聞・雑誌のインタビューで本人や弟が実際に口にしてきた内容を軸に、実家の場所、家族構成、育った環境、そして噂として語られている部分までを整理してまとめます。どこまでが確かで、どこからが伝聞なのかもはっきり分けて書いていくので、読み終わるころには全体像がすっきりつかめるはずです。
高橋一生の実家がある場所と、育った街の風景
まず基本のプロフィールから確認しておきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 高橋一生(たかはし いっせい) |
| 生年月日 | 1980年12月9日 |
| 出身 | 東京都港区赤坂 |
| 所属 | 舞プロモーション |
| デビュー | 1990年公開の映画『ほしをつぐもの』 |
| 家族 | 5人兄弟の長男。2024年に俳優の飯豊まりえと結婚 |
豊川稲荷の坂を下ったところにあった家
高橋一生さんの実家がどこにあったのかについては、本人がテレビで具体的に語っています。2024年5月にテレビ朝日系の旅番組に出演した際、東京・赤坂の生まれであることに触れながら、豊川稲荷の横の坂を下っていったあたりが家だったと説明しました。さらに通学路についても、豊川稲荷の脇を通り、和菓子の老舗であるとらやの前を抜けると、その先がもう小学校だったと語っています。
赤坂という地名からは高層ビルやオフィス街をイメージする方も多いと思いますが、豊川稲荷から青山通り沿いにかけてのあたりは、寺社と老舗、そして住宅が入り混じった独特の空気があるエリアです。子どもが歩いて通える距離に神社と和菓子屋と学校が並んでいる、というのはなかなか贅沢な環境かなと思います。番組では、通学路の記憶をまるで昨日のことのように語っていたのが印象的でした。
赤坂御所に入って遊んでいた小学生時代
実家の場所を語るうえで欠かせないのが、赤坂御用地との距離感です。高橋一生さんは、小学校時代に住んでいた家が赤坂御用地のすぐ近くだったため、御所で宮仕えをしている方たちの息子さんや娘さんが同級生に多かったと明かしています。そうした友人の縁で御所の敷地内に入れてもらう機会があり、中でたぬきを追いかけ回して遊んでいたそうです。
共演者が驚いて「たぬきがいるんだ」と反応すると、敷地が結構広いので、と当たり前のように答えていました。皇室の方が暮らす場所の中で放課後を過ごしていた小学生というのは、なかなか聞かない話ですよね。この環境については、後年の共演者からも都会育ちらしい振る舞いを指摘されることがあり、川口春奈さんが港区赤坂出身の高橋さんに対してシティー感を感じる、といった趣旨のコメントをしたこともありました。
実家は裕福だったのか、それとも苦労が多かったのか
ここが多くの方の疑問だと思います。赤坂で生まれ、御所に出入りしていた、と聞くと相当な資産家の家に見えます。実際、ネット上では実家はお金持ちだったのではないかという見方が根強くあります。
ただ、後述するように、家庭の内側については本人も弟も、決して安定していたとは言えない状況をあちこちで語っています。金銭的に余裕があった時期と、そうでない時期が入れ替わり立ち替わりやってきた家だった、というのが実像に近いのかなと思います。生まれた場所の華やかさと、家庭の中の実情は必ずしも一致しない。ここを混同すると、実家像がぼやけてしまいます。
住まいを転々としたと語られる背景
この一家について語られているエピソードのひとつが、引っ越しの多さです。弟の証言をもとにした情報として、青山に住んでいた時期から始まり、赤坂、成城、祖師谷、本駒込、後楽園周辺、三軒茶屋、祐天寺といった具合に、都内各所を移り住んだという話が広く出回っています。母親が事業を起こしては行き詰まるということを繰り返し、そのたびに住まいが変わったという説明とセットで語られることが多い内容です。
ただしこの転居先リストについては、本人が番組で一つひとつ挙げたものではなく、ファンサイトやまとめ記事を通じて広まった性格の情報です。三男の安部勇磨さんが東京都世田谷区の生まれとされていることを踏まえると、赤坂を離れて世田谷方面に移った時期があったこと自体は自然に読み取れますが、順番や年数まで確定した話として扱うのは慎重になったほうがよさそうです。
実家の家族構成と、そこで起きていたこと
実家の話を掘り下げるうえで避けて通れないのが、家族構成の複雑さです。高橋一生さんは2017年1月20日に放送されたTBS系のトーク番組『A-Studio』に出演し、自身の口で家庭事情を明かしました。この放送が、現在ネット上に流通している情報のほぼすべての出発点になっています。
5人兄弟の長男、そして父親は3人
番組で高橋一生さんは、5人兄弟の長男であること、そして自分と、次男・三男、四男・五男とで父親が3人違うこと、母親は1人であることを語りました。母親が3度の結婚をしたため、4人の異父弟がいるという形です。いちばん年の離れた末の弟とは18歳差になります。
| 兄弟 | 父親のグループ | 現在わかっていること |
|---|---|---|
| 長男(高橋一生) | 1人目 | 俳優。1980年12月生まれ |
| 次男 | 2人目 | デザイン系の仕事に就いていると語られている |
| 三男 | 2人目 | ロックバンドnever young beachの安部勇磨 |
| 四男 | 3人目 | 一般の方のため公表情報は少ない |
| 五男 | 3人目 | 寿司職人の見習いとして修業していると語られた |
三男の安部勇磨さんが弟であることは、番組の予告段階で明かされて大きな話題になりました。苗字が違ううえに顔立ちもタイプが異なるため、両方のファンにとってかなりの驚きだったようです。ドラマ『カルテット』で共演していた松田龍平さんが、事情を知らないまま安部さんのライブに足を運んでいたことが分かり、顔合わせの場で弟だと打ち明けたら絶句された、というエピソードも語られていました。
母親はどんな人だったのか
母親については、高橋一生さんを18歳のときに産んだと番組で紹介されています。かつて子役として活動していた時期があったという話も、この放送をきっかけに広まりました。息子に役者の道を勧めたのは、その経験があったからではないかという見方もされていますが、活動歴の詳細までは公にされていません。
母親の人物像として語られているのは、行動力があって、じっとしていないタイプだったという方向の話です。何度も事業を立ち上げては手放すことを繰り返していた、お金の使い方が大胆だった、といった証言が弟のインタビューをもとに紹介されてきました。赤坂という土地柄から水商売に携わっていたのではないかという推測も一部で出回っていますが、これは本人たちが語った内容ではなく、地域のイメージから逆算された推測の域を出ません。
金銭面をめぐって語られている話
ネット上では、母親が借金を重ねていた、子どもの持ち物を勝手に売って現金に換えていた、息子や弟を通じて金銭を無心していた、といったかなり踏み込んだ内容も語られています。これらは弟の発言や過去の雑誌記事を出典として引かれることが多いものの、一次情報にあたって確認できる範囲を超えた部分も含まれており、細部については裏付けが取りにくいのが実情です。
確実に言えるのは、高橋一生さんが母親と長く距離を置いていた、と自ら語っているという点です。ここは本人の言葉として明確に残っています。
父親たちについて分かっていること
実父については、高橋一生さんが5歳のころに離れたとされています。離婚によるものだったのか、亡くなったのかという点で情報が分かれていますが、幼いうちから父親のいない生活になっていたことは共通しています。
弟の安部勇磨さんは、自分の父親も義理の父親も早くに亡くなり、その後に母親も亡くなったという趣旨の話を、バンドのアルバムに関するインタビューで語っています。この発言から、3人の父親のうち少なくとも複数がすでに他界していると読み取られてきました。
北海道でタイ料理店を営んでいたという説
父親に関する噂として根強く残っているのが、北海道の北見市でタイ料理店を経営していたのではないか、というものです。きっかけは、その店のフェイスブックページに高橋一生さんの出演作に触れる投稿が残されていたことでした。飲食店の告知の流れでいきなり俳優のドラマ情報が出てくるのは確かに不自然に映るため、店主が父親なのではないかという見方が広がったわけです。
この件について、高橋一生さん本人や事務所が言及したことはありません。あくまでネット発の推測として流通している話であり、事実として確定しているわけではない、という位置づけで受け止めておくのが妥当かなと思います。父親が俳優だったという説も同様に出回っていますが、こちらも裏付けとなる情報は見当たりません。
弟たちの父親代わりを務めた長男
実家の話でいちばん心に残るのが、この部分かもしれません。高橋一生さんは、弟たちが赤ん坊のころからおむつを替えるなど、生活そのものの世話をしていました。すごいスピードでできるようになった、と本人が振り返るほど日常的な役割だったようです。
年齢が上がってからも、弟たちに家計簿をつけさせるなど、父親役に近い立ち位置で関わり続けています。金銭感覚を身につけさせようという意図が透けて見える指導ですよね。番組では末の弟について、料理の腕を褒めちぎる兄バカぶりも見せていました。寿司職人としての修業先を紹介してもらった経緯にも触れており、弟がやりたいと言っていたことを実現させるために動いていたことがうかがえます。
音楽の面でも兄の影響は大きく、安部勇磨さんはエレファントカシマシやミッシェル・ガン・エレファントを兄の影響で聴くようになり、バンドに目覚めたと語られています。インディーズにとどまろうとしていた弟に対して、評価される場所に身を置くべきだという趣旨の助言をした、というエピソードも伝えられています。
祖母がいなければ俳優にはなっていなかった
実家を語るうえでもう一人欠かせないのが、祖母の存在です。幼いころの高橋一生さんはふさぎがちで、人と関わるのが得意ではない子どもでした。それを心配した祖母が、さまざまな習い事をさせてくれたそうです。ただ、どれも長くは続きませんでした。
転機になったのが、習い事のひとつだった児童劇団の発表会です。舞台に立つ孫を見た祖母が泣いて喜んでいる姿を目にして、この道を続けようと決心したと本人が語っています。1990年に映画『ほしをつぐもの』で初めてスクリーンに立ち、1995年のスタジオジブリ作品『耳をすませば』では天沢聖司の声を担当しました。子役として活動していた当時、母親から容姿について厳しい言葉をかけられたという話も伝わっていますが、これも本人の詳細な証言というより、周辺情報として語られてきた内容です。
噂と事実の線引き、そして今の高橋一生
ここまで読んで、情報の濃淡が気になった方もいると思います。整理しておきましょう。
| 語られている内容 | 情報の性格 |
|---|---|
| 東京都港区赤坂の生まれ | 公式プロフィールおよび本人発言で確認できる |
| 豊川稲荷付近に実家があり、御所で遊んでいた | 2024年の番組で本人が語った内容 |
| 5人兄弟の長男で父親が3人違う | 2017年の番組で本人が明言 |
| 母親と10年ほど疎遠、最期に和解 | 本人が番組で語った内容 |
| 都内を転々と引っ越した | 弟の証言をもとにネット上で広まった伝聞 |
| 母親が水商売に従事していた | 地域イメージからの推測で、裏付けは確認できない |
| 父親が北海道でタイ料理店を経営 | SNS投稿を発端とするネット発の説 |
10年の断絶と、最期の1週間
母親とのあいだにあった溝について、高橋一生さんは番組ではっきり語っています。仲が悪い時期が長く続き、10年ほど会っていませんでした。転機が訪れたのは、弟の安部勇磨さんから母親が病気であることを知らされたときです。母親は2015年の夏に亡くなっており、対面がかなったのは亡くなる1週間ほど前でした。
そのとき母親からは、今までのことについて強く謝罪されたといいます。やせ細った姿を前にして、高橋一生さんはもう大丈夫だ、弟たちは自分がなんとかするから、ゆっくり休んでほしいという趣旨の言葉をかけました。長い断絶の末に、長男としての宣言で締めくくったわけです。実家の物語のなかで、いちばん重たくて、いちばん静かな場面かなと思います。
2024年の結婚と、これからの家族
2024年5月、高橋一生さんは俳優の飯豊まりえさんとの結婚を連名で発表しました。NHKのドラマシリーズ『岸辺露伴は動かない』での共演をきっかけに縁が深まり、約1年の交際を経てのことでした。17歳差の結婚として大きく報じられ、ファンのあいだではジョジョ婚という呼び方まで生まれています。
結婚後も同シリーズでの共演は続いており、2026年には飯豊さんが主人公を務めるスピンオフ作品も発表されました。2026年5月には映画の舞台あいさつの場で、子どもがほしいかという流れの質問に対し、演技がうまくなりたいので自分もそう思う、楽しみにしたい、という趣旨のコメントも残しています。複雑な実家で育った長男が、自分自身の家庭を築いていく段階に入っているわけですね。
よくある疑問への回答
実家は今もあるのか、という点については、公表されている情報はありません。母親はすでに亡くなっており、弟たちもそれぞれ独立していることから、かつての住まいがそのまま維持されているとは考えにくい状況です。所在地の詳細を追いかけるのは、ご家族のプライバシーにも関わるところなので、公表されている範囲で受け止めておくのがいいかなと思います。
実家が破産したのではないかという話も見かけますが、法的な破産手続きに関する公的な情報は確認できません。事業の失敗や金銭的な苦労を伝えるエピソードが、破産という言葉に置き換わって広まった可能性が高そうです。こうした金銭や法律に関わる話題は、断定を避けて読むのが安全です。
最後にもう一度まとめておくと、高橋一生さんの実家は東京都港区赤坂にあり、豊川稲荷の近くで、赤坂御用地が遊び場になるような環境でした。家庭は母親と4人の弟、そして3人の父親という複雑な構成で、長男として弟たちの世話を一手に引き受けてきました。祖母の涙が俳優への出発点になり、母親とは長い断絶を経て最期に和解しています。華やかな街で育ちながら、決して平坦ではなかった時間が、今の演技の奥行きにつながっているのかもしれませんね。
参考・出典
シネマトゥデイ「高橋一生、弟・ネバヤン安部とは父親が違う」(2017年1月23日)
スポニチアネックス「高橋一生 複雑な家庭事情 父親が3人違います 母親との別れは弱ってから」(2017年1月21日)
日刊スポーツ「東京・赤坂生まれの高橋一生、小学生時代 赤坂御所でたぬきを追いかけ回していた」(2024年5月27日)
日本テレビ しゃべくり007「川口春奈、港区赤坂出身の高橋一生の振る舞いにシティー感を感じます」(2019年2月25日)
smart FLASH「高橋一生を作り上げた 母のお腹の中で聞いたユーミン」(2017年12月27日)
スポニチアネックス「高橋一生&飯豊まりえ結婚 17歳差 2人連名で電撃発表」(2024年5月16日)
デイリースポーツ「高橋一生 僕も 子どもを 24年に飯豊まりえと結婚 楽しみにしたい理由とは」(2026年5月3日)
舞プロモーション 公式プロフィール

